2024年2月4日礼拝週報 訓読

誠感天・家和万事成 第一章 第二節 (二)復帰の精誠

天のお父様が、失ってしまった子女を取り戻すために、どのくらい精誠を尽くしたでしょうか。命を駆けて精識を尽くしたのです。ですから、お父様の前には面目がなく、顔を挙げることができず、いかなる反発も、反問もできません。それでは、堕落した人間が精誠を尽くしたのか、神様が精誠を尽くしたのかと言えば、堕落した人間が精誠を尽くしたのではありません。神様が精誠を尽くしてこられたのです。ですから、神様が必要であり、神様が有り難いのであり、神様に従っていこうとするのであり、神様が貴いというのです。私が精識を尽くしたので私が貴いと思うかもしれませんが、神様が私よりもっと精誠を尽くしたので、神様がもっと貴いというのです。(四二一二三六、一九七一・三・一匹)

神様は永存される方です。神様が涙を流されるのは、死の道を一掃するためであり、苦痛の道を一掃するためであり、悲しみの道を一掃するためです。神様が悲しみと苦痛と死の道を一掃するために先に涙を流し、血と汗を流してこられたことを知って、今日の私たちは、代わりにみ旨を成し遂げなければなりません。神様が死の場に出ていってはいけないのです。今まで神様は、最後の死の場、最後の涙を流す場、最後の血と汗を流す場に私たちの先祖を立てたのです。このようにしたのは、神様に愛がないからではありません。そのような場を解消するために、神様もそれ以上の痛みを感じなければなりませんでした。愛する子女が死ぬその瞬間、父母の心はどれほど苦痛であり、愛する子女が苦痛を受けるのを見つめる父母の心情はどれほど痛むでしょうか。自分が死ぬより、もっと心を痛めるというのです。このような痛む心情をもって、人類の歴史が始まって以来、苦痛を受けてこられた神様なのです。

私たちは、一代を中心として一度苦痛を受けて倒れれば、私たちの責任はすべて終えることができますが、今まで神様は、大勢の先祖たちが死の道を行くたびに、涙の道を行くたびに、血と汗を流す道を行くたびに、悲しみと苦痛の道を行くたびに、激しい苦痛を受けてこられたのです。(1四=二四四、一九六五・一・一)

マタイによる福音書 10/16-22

わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。 人々に注意しなさい。彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう。またあなたがたは、わたしのために長官たちや王たちの前に引き出されるであろう。それは、彼らと異邦人とに対してあかしをするためである。 彼らがあなたがたを引き渡したとき、何をどう言おうかと心配しないがよい。言うべきことは、その時に授けられるからである。 語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である。兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、また子は親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

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